叶わなかった夢、叶えなかった夢
お久しぶりです。
溜まる下書きと崩れまくる生活のリズムに流されて久しぶりの更新になりました。
元気に生きています。
最近は、写真集制作のため日々日々撮影と編集をしております。
仕事、趣味、写真とやりたいことと時間が見合わないなあ、と思いつつ。
それでも24時間目一杯頑張ってます。
最近は観劇をする機会が増えたので、その話題でも。
8月16日 宝塚BOYS teamSKY@東京芸術劇場を見てまいりました。
終戦後すぐに、宝塚歌劇団には男子部というものが存在し、そこで大劇場を夢見た青年達のお話です。
長い歳月の練習や期待は報われず、夢の大劇場に男子部が立つことは叶いませんでした。
何度も挫折しても立ち上がり、期待しては裏切られ、
戦争という与えられた枷に苦しみ、もがき、それでも正面から受け止める男子部の全員が、夢の舞台に立ちたい、叶えたい。その一心だったのだと、心を揺さぶられました。
劇中「運がいいとか悪いとかそんな言葉は聞きたくありません。ただ懸命に生きていたのです」というセリフが登場します。
「大劇場に立てなかったのは、運が悪かったから」そうじゃない。
「大劇場の板を踏む、そのいつかのために、いま出来る稽古をしよう。そのいつかが来た時に、最善を尽くせるよう、稽古をした。だからそれを運がなかったから叶わなかった、なんて言わないでくれ」
こんなに胸をかき乱されるような思いをしながら観劇したことはありませんでした。
国のために戦い、死ぬことさえもがさ美徳とされていた時代。
生き故郷に帰り、夢を追うことも許されなかった時代に、懸命に夢を掴もうとした男子部部員の最後の涙に、ただただ悲しい気持ちと、
何をしても大抵許されて、努力さえすれば夢が叶うこの時代、大した努力もせず、
「運が悪かった」
と諦めてしまう自分に本当に嫌気がさしました。
彼らの叶えられなかった夢の欠片は
こうして演劇になり、叶えられたはずの夢はどこかと迷っている現代人へ大きなエールになったのではないでしょうか。
元生徒で、男子部の心を支えた寮母
形の違う傷をおっても、他人に夢を与えようと奔走し、懸命に夢を追った男子部メンバー
最後のレビュー(大階段を使った歌とダンスのショー)にはその全員の思いが反映されていたように思えます。
叶わなかった大劇場でのレビュー
男子部にポジティブに関わった全員が夢見たレビュー
笑顔で歌い踊るレビュー、
羽根を背負い、シャンシャンを持ち、すみれの花咲く頃を歌っている男子部を見ていると
ほんとに苦しくてたらまない気持ちになりました。
涙を流しながらあのレビューを見たのは
すごく失礼だったのでは、と今では反省と後悔すらしています。
劇中「(宝塚の)舞台をみーんなええ顔してみてるんや」と男子部員が言います。
男子部員は観客がいい顔をして見られる舞台を夢見ていたはずなのに。
その後、各々の大きな荷物を持ち、
故郷へ帰る男子部たち。
もっともっと夢を見せてほしい
もっと叶えてほしい。
もっともっと、と気は急くばかりで
現実は、そこで終わり。
夢が叶わなかったのは、運が悪かったからじゃない。認められなかったから。
そんな単純な理由が、1番懸命に生きた人々を苦しめるんだ、と胃がずしり、と重たくなりました。
あんなにおわりを惜しんだカーテンコールがあったでしょうか。
あんなに終わらないで、と思う舞台はあったでしょうか。
終わらないで、まだ、見たい、と気持ちが溢れすぎて拍手を止められずにいました。
この消化しきれない思い、、。
もう一度観たい、、、、
東京千秋楽行っちゃうか、、、、。
ひとまず吐き出せたので眠ります。
大阪公演には、ご存命の宝塚男子部の方がご観劇されるそうです。
大層胸が締め付けられる、そんな思いです。
それではおやすみなさい。