(無)生産製作所

ただただ書きまくるだけの愛すべき書き捨て場

家族だったということ

 

5月21日はわたしの愛犬の命日です。

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中学生のときかな、本当に学校に行けなくて

めちゃくちゃしんどかったときに

ホームセンターで目が合って、

ちゃんと散歩も連れていくし、ご飯もシャンプーもわたしがするから、飼いたい。

と親をその場で説得して迎えたワンコでした。

 

初めてうちにきたとに、

慣れない家で心細そうに鳴く声を聞いて、

うちでは不満なのかな、とか

ちゃんと家族になれるのかな、とか

不安になったのを覚えています。

 

しつけは大変でした。

それ以上に可愛くて、大好きで、

たくさん元気づけられて、

高校まで卒業出来たのは

太郎がいたおかげだと思うのです。

 

大学進学と共に東京に住んで、

離れ離れの時間の方が多くなったけど、

実家に帰るたびに一緒にお昼寝したり、

散歩行ったり楽しかった思い出ばかりです。

 

8歳になった太郎は心臓に大きな障害があり、もう長くないと言われました。

仕事で出来ないお世話を母が引き継いでくれて、毎日薬も欠かさず飲ませてくれました。

 

5月21日、とても暑い日でした。

朝から具合が悪そうで、

大好きな散歩にも行けず、

うちわで扇いであげたり、

大好きな窓辺に寝かせてあげたりしていました。

 

夜になって、ぐったりしてきてしまい、

かかりつけのお医者さんに急いで電話をして、

車で病院まで連れていきました。

腕の中でぐったりして、

太郎の呼吸が弱くなっていくのを肌で感じて、泣きながら病院に駆け込みましたが、

その時には既に息絶えていました。

 

病院の先生には「管で繋がれて苦しみながら死を迎えるより、大好きな飼い主さんに抱っこされていけたのだから、きっと幸せだった」

と言われたけど、もっと早く病院にいってたら、

もっと早くしていれば、

今も元気にわたしと一緒に過ごせていたかも、と後悔が募るばかり。

 

自宅に連れて帰ってから、病院の先生が作ってくれた簡易ベッドに入った太郎を見て

わたしが病気の半分でも貰っていたら、とか

もっといっぱい色んなところに一緒に行きたかったとか、

もっとたくさん可愛がってあげてたらと思うと涙が止まらずずっと太郎の前から離れられずにいました。

 

火葬し、骨になった太郎をみたら痛いところや苦しいところがなくなって、

きっと広くて安全なところで

いまは楽しく過ごせているんだろうな、と思えたのに、

それでもやっぱりずっと悲しくて寝られず、

3日間も、会社を休んでしまい、ずっと泣き続けに泣いていました。

 

思い立って、太郎の写真を印刷して額縁に飾ってみたら

ここにいるよ、と言っているようで少し安心したのを覚えています。

 

このままくよくよ泣いていて、太郎は喜ぶだろうか?

また心配してせっかく行けた楽しいところで遊べないんじゃないか?

 

太郎の幸せを願うなら、泣かずにいつも通りの生活を続けるべきなのでは?と思い、

次の日からはいつも通り仕事にいきました。

 

それでもふとした時に、あの息を引き取ったときの重たさや、冷たくなった体や、

開かない目や、大好きなおやつを食べない口、たくさん遊んだ手や足、もこもこの体を思い出して、もういない事実が辛くて、涙が出るのでした。

 

ペットロスは長くて苦しい。

それこそ、多分私が死ぬまでペットロスは続くのだと思うのです。

泣いても帰ってこない。けど、失くしたことで生まれた穴は、誰にも埋められない。

ずっと開き続けたままなのです。

 

命日が近づき、あの日のことを思い出してしまい、混乱して悲しくて、どうしようもない気持ちでこれを書き始めました。

 

ご不快に思われた方がいたらごめんなさい。

悲しい気持ちを内にしまっておくことが出来ませんでした。

 

もし、この記事を読んでいるあなたの近くに

ペットロスで苦しんでいる方がいたら

「たかがペットが死んだだけだろ、大げさ」なんて思わず、「家族が亡くなったんだ」と優しい気持ちで接してください。

 

あなたも大切な人が亡くなったら、きっと悲しいはずです。

 

家族だったということは

失えば大きな穴だけが主張して、私を侵食するということなのです。

 

悲しい話をしました。

どうぞ明日朝起きたら、元気になっていますように。