(無)生産製作所

ただただ書きまくるだけの愛すべき書き捨て場

せい と し を考える

性と死はタブー視しすぎだと思う。

星野源のラジオを聴いていた。
【今日は下ネタ話してませんけど、上層部に怒られましたか?】というメールが来ていた。
それに対して星野氏は【自分の中に、下ネタとそうじゃない話の垣根がない。】的なことを言っていた。

共感しかなかった。
よく言ってくれたと思った。
星野源のことなので、もしかしたらふざけたのかもしれないけど。

私には、星野源ケンドーコバヤシ徳井義実が話す性の話はいやらしく聞こえない。
なぜ?を考えた。
あって然るべき変態だからだ。
必要悪的な。

人は少なからず変態だと思う。
性癖とか、フェチシズムとか、そういうことも含めずとも、変態だと思う。
自らのことを「ノーマルです」と宣言する人にとてつもなく変態性を感じる。

なんでそんなに隠したいの?ちょっとくらい好みとか、興奮するものとかあるでしょ?嘘つくなよ?お姉さんには分かるんだよ?でいっぱいになる。
隠そうとすることに変態性を感じざるを得ないのだ。

ただ本当にみんな隠す。なんなら話さない。
それか下衆い。
最近いつした?とかみんなそこに至るまでや頻度について話したがる。そこじゃないんだよ。
中身なんだよ。馬鹿たれ。

大事なことを見落としていると思う。
ショートケーキの主役は概ね、いちごなのであって生クリームではない。

セックスの主役はプレイやその時の気持ちなのであって、経緯や頻度ではない。
…なに言ってんだ。運営に消されても文句言えないです。ごめんなさい。

とにかく、性について勘違いしていると思う。
もっと中身のある、主役の話をしよう。
多くの人が話しているのは、あらすじであって、物語じゃない。

同時に死も同じ扱いを受けているように思う。
死ぬことは怖いし、出来れば安らかに痛くなく死にたいと思う。

今、わたしの知っている医療技術では死を避けては通れないのに、なぜ極力見ないように、極力避けて通るようにとするのだろう。

怖いなら知ればいい。体験することは生涯で1度しか出来ないのだから、あれこれ想像してみたらいいのに、誰かに聞いて貰えばいいのに、何故しないのか。

それはなぜか死が、黒くて気味の悪いなにかだと錯覚しているからではないだろうか。
出来れば避けたいと、出来ないのに思うからではないだろうか。

人は誰でも小さい頃におねしょをするのと一緒で、時期が来れば死んでしまうのだ。
もっと明るいものにしていた方が、受け入れられるとは思いませんか。

死ぬと体の重量が少し軽くなる理論がすごくメルヘンチックで好きだ。

自分に子供ができて、死にそうな時にはちゃんと計ってもらいたいくらい気になる。
それに、その軽くなった分がもし魂という概念で、魂が抜けたから軽くなったとしたら、あ、ちゃんと体から抜けたんだ…と死を納得する理由にはならないだろうか。

死んだら本当に軽くなったかどうか知ることは出来ないのだけど…。

とにかくもっと、性と死について話していいと思う。
恋愛遍歴や、モテ自慢はもうお腹いっぱいなんだよ。
そこからの発展や、中身について教えて欲しい。あと、小中高校は性教育はもっとちゃんとしよう。

死生観についてもっと知りたい。
色んな人の考えが知りたい。
結局死ぬのだから、なんなら色んな情報を知っておきたい。
なんならもう、暑くて半分溶けて多分死んでる。

そういや、このブログ星野源星野源と言いすぎな。
ちゃんと星野源のブログも書くよ、そのうち、多分。