(無)生産製作所

ただただ書きまくるだけの愛すべき書き捨て場

月の何時間、何に思考を割いているか

 

先日、フォロワーさんが

 

「月の半分以上絵のことしか考えてない」

なんて書いていた。

私は月の何時間、何に思考を割いているか?

これを読んでいるあなたは、何に、何時間、思考を割いていますか?

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私は、カメラマン・アナログゲームの事務を経験したのち、

今はゲーム系の会社で進行管理を行なっているのだけど、

 

月200時間くらい日付のことしか考えてない

 

あーあれがいつリリースされて、これがいつ必要で、

いつまでに契約書まとめて、何日にミーティング設定して、

資料集めるのにだいたい2営業日かかったら、何日で・・・・・・

 

毎日日付のこと考えてる。

土日祝日の把握具合が半端じゃないのは、毎月200時間くらいカレンダーを見ているから。

取引先の会社の集まりとか、偉い人の出張の日とか、下手したら知ってる月がある。

 

いや進行管理だから当然といえば当然なんだけど。

 

でも最近ちょっと変わってきた気がする。

今の会社に入社して約1年くらいかな。

そもそも私、進行管理すると思っておらずに入った会社だったから

プロジェクトにいると、なんかいつもと違うところが気になる。

 

仕事には”なんかちょっとかゆいところ”がある

仕事してて「なんかちょっとかゆい」ってことありません?

なんか違うとか、なんか間違ってるとかじゃなくて、

「その方法でやってて間違いじゃないんだけど、こうしたらもっとよくなりそう」

「みんなここですごい躓いてるのに、なんか、誰も直さないな」とか

 

本当は日付のこと考えるだけで結構なタスク量で、

そのちょっとかゆいことについて考える出すと、大変なことになってしまうから

そっと目をそらしていたんだけど、

そうも言っていられなくなり、

つい最近、「そろそろそのかゆいところ、あなたの手で治してみませんか」と

お声かけられてしまい。

このビッグウェーブに乗るのか、乗らないのか・・・・

 

乗るよね。

 

上記で、「進行管理すると思っておらずに入った会社」って言ってたけど

なんで入ったかっていうと、各セクションの折衝役として入っていたので、

どこかで停滞している膿を出して、傷薬を塗って、さて次に停滞している膿を・・っていう役割だったのが

もっとフィールドを縮小して、いわば身内が痛がっているのを治療する役割になっただけなんだよね。

 

かゆいところ治せば、自動的に、私のことをじわじわ苦しめているかゆみからも解放される・・・はず。

 

楽しみ半分、GWとかお盆を前にして、そんな余裕あるのか・・・っていう不安。

 

まあ楽しいことも考えている

よく言えば多趣味なもんで、(悪く言えば、・・・この際いうのはやめよう)

さっきまで写真やってたかと思うと、今度は引きこもってゲームしてみたり、

脱出ゲーム行ってるなって思うと、今度はちまちま動画を作ってたり、

落語聞いてたり、ライブ行ったり、化粧品を買いあさったり

 

私生活でやることだいたい楽しい。

 

今ほとんど陶酔しているのが、ゲーム実況をみることなんですが、

ゲーム実況したいとか言い出すの?って思った?

違います。

モーショングラフィックに興味がありまして。

要は、文字を動かすことなんだけど、それとなんか、こう、

いい感じなことできないかしら・・・ってちょっと今アイデアを出しているところです。

 

いつかここで公開できたらいいな・・・

そのアイデアを形にするために、

義姉からキーボード譲ってもらえないかしらーって画策中。

やりたいことはたくさんあるけど、時間がないな・・・って思ってたんだけど

私月に200時間も日付のこと考えてるんだよね。

 

考えすぎだからいい加減WLBよ。見直していこう。

本当はやりたいことたくさんあるもの。

 

あら、まーた3時。。

あかんあかん。寝なきゃね。

 

 

セルフメンタルケア

※決して明るい感じの内容ではないので、

暗い気持ちになりたくない人は

読まないことをおすすめします。

ただ、苦しんでいて、自分でもどうにかいい方向に行きたい人は、

もしかしたら何かヒントになることがあるかも。

 

キーワード:承認欲求、他者承認、LGBTQ

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2556日

恐ろしくひさしぶりの更新であります。

 

生きています。

 

ついに2020年が始まってしまって

勝手に3ヶ月も経っていやがりました.

月日とは勝手に進むものなんですね。

 

置いて行かれないようにしがみついていたら

周りで何が起きているか分からず、

何もできず呆然としているだけの2019年でした。

 

突然発生した部署移動、待っていたパワハラ(これはまた別の機会で・・)

新しいルールの構築と人間関係と勉強と自身の色々を整えて葬式をあげる

色々なことをやりました。

 

本題へ。

 

7年間使っていたカメラをやめた

ようよう考えてみたら20歳の時に初めて

バイトして一眼レフを買ってから

スタジオカメラマンという職業を経て、

大好きは家族や友だちを撮り、

イベントの撮影隊や、社内行事に駆り出されたり、

旅行に行ったり、色々を共にしてきた一眼レフをついに手放しました。

 

maeさんが以前のブログコメントで、「写真集できましたか?」って聞いてくれてたのに、

お返事できておらず申し訳ない。。

実は出来ております。

 

大好きな手だけを集めた写真集とも呼べないようなすごく小さな本を作りました。

コンセプトも何もあったもんじゃない、ただただ人と話すきっかけが欲しくて

作った本を完成しておりました。

デザフェスに出てなんとなく売ったりしてみたました。

もっと撮りたい、もっといい写真が撮りたい、大好きなものをたくさん撮りたい

 

そう思うと同時に、すごく無理している自分がいることにも気づいたのです。

無理、というのは些か言い過ぎかもしれないけど。

迷うことが多くなったというか、どうすべきなのか、どうしたいのか

今ままでごちゃごちゃ考えずに「いいものが撮影できた」と思っていたものが

本当にそれでいいのか?と悩み、

自分自身がやりたいこと、撮りたいことが理解できないまま

とりあえずファインダーを覗く、シャッターをきる、

その行為がすごく息苦しく感じていたように思います。

 

この息苦しさから脱却するためには、どうしたら良いかを考えましたが、

良い案は見つけられず、

写真がどんどん撮れなくなり、カメラを持つのも億劫で、

型に嵌った面白くもない、いい写真でもない、ただの「写真」を撮っている自分にほとほと嫌気がさしてしまいました。

 

ならば一回離れてみるのはどうだろうか

写真は好きなのに、撮れない

撮りたいのに撮れない、

本当に撮りたいかどうかも分からない。

肩にかけたカメラが大好きで、写真が撮りたくてしょうがなかった私は

完全に枯渇していて、肩にかかったカメラが突然ただの塊としてしか認識できなくなってしまっていたので、

このままやめちまおうと、離れてみたら、もっと違う何か、

もっといい解決策をまた見出せるんじゃないかと

私にとっても、カメラや写真や、これから撮影されるかもしれない全ての被写体に対しても

失礼のない態度でいられるのではないだろうか、と安直ですが

そう考えたのでした。

 

初代から換算したらフルサイズも含めて3台、

約7年間使い続けたカメラを手放しました。

 

極端だと笑ってください。

その程度かとか、つまらないやつだと呆れられても仕方ありません。

 

心はどんどん変わっていくのに、

カメラという存在への対処の方法を私は完全に見失ってしまって、

変わり続ける私と、かわらずにいてくれたカメラで、大きな溝ができてしまったのです。

仕方ありません。

あまりに悲しかったので(自分勝手に悲しんでいるのは承知です)

大学時代の友人を読んで、"カメラマンだった私の葬式”と題した

盛大な飲み会を行いました。

とても気持ちが楽で、何に悩んでいたのかも分からないほどでした。

 

離れてみて気が付いたこともありました。

私は今まで、カメラと文章でしか自己表現をしていなかったこと

好きでなおかつ得意なことも同様にカメラと文章しかなかったこと

離れてもやっぱり、写真をとるという行為は好きだったということ。

 

カメラマンとしての私の葬式が終わって、

ミラーレスを買いました。

完全に離れるのはやはり無理だったのでした。

 

これから新たなカメラ持ちとしての人生が始まるのです。

始まる一年のために、7年間の私を改めて自分自身で認めるために、

よかったら、少しだけ、今まで撮ってきた写真をみてください。

 

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過去の写真を見返すと、

もっとこうしたかったな、とか色々あるけど、

落ち込むのはもうやめて、腰を落ち着けて次のことを考える時間が私には必要。

どんなことがしたいのか、何が撮りたいのか、揺るがない信念とか、

分からないけど、漠然とではなく、目標を立てて、着実に進むためのそよ風が必要なのです。

Canon M200ちゃんとしばらくは仲良くやっていきます。

 

また写真、みてもらえる機会があればいいな。

もっと真摯に向き合えるようになったら、グループ展とかやりたいな。

叶わなかった夢、叶えなかった夢

お久しぶりです。

溜まる下書きと崩れまくる生活のリズムに流されて久しぶりの更新になりました。

元気に生きています。


最近は、写真集制作のため日々日々撮影と編集をしております。

仕事、趣味、写真とやりたいことと時間が見合わないなあ、と思いつつ。

それでも24時間目一杯頑張ってます。

 


最近は観劇をする機会が増えたので、その話題でも。

 


8月16日 宝塚BOYS teamSKY@東京芸術劇場を見てまいりました。

 

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終戦後すぐに、宝塚歌劇団には男子部というものが存在し、そこで大劇場を夢見た青年達のお話です。

 


長い歳月の練習や期待は報われず、夢の大劇場に男子部が立つことは叶いませんでした。

 

 

何度も挫折しても立ち上がり、期待しては裏切られ、

戦争という与えられた枷に苦しみ、もがき、それでも正面から受け止める男子部の全員が、夢の舞台に立ちたい、叶えたい。その一心だったのだと、心を揺さぶられました。

 

劇中「運がいいとか悪いとかそんな言葉は聞きたくありません。ただ懸命に生きていたのです」というセリフが登場します。

 

「大劇場に立てなかったのは、運が悪かったから」そうじゃない。

「大劇場の板を踏む、そのいつかのために、いま出来る稽古をしよう。そのいつかが来た時に、最善を尽くせるよう、稽古をした。だからそれを運がなかったから叶わなかった、なんて言わないでくれ」

 

こんなに胸をかき乱されるような思いをしながら観劇したことはありませんでした。

 

国のために戦い、死ぬことさえもがさ美徳とされていた時代。

生き故郷に帰り、夢を追うことも許されなかった時代に、懸命に夢を掴もうとした男子部部員の最後の涙に、ただただ悲しい気持ちと、

何をしても大抵許されて、努力さえすれば夢が叶うこの時代、大した努力もせず、

「運が悪かった」

と諦めてしまう自分に本当に嫌気がさしました。

 

彼らの叶えられなかった夢の欠片は

こうして演劇になり、叶えられたはずの夢はどこかと迷っている現代人へ大きなエールになったのではないでしょうか。

 

男子部を支えた歌劇団経理職員、

元生徒で、男子部の心を支えた寮母

形の違う傷をおっても、他人に夢を与えようと奔走し、懸命に夢を追った男子部メンバー

最後のレビュー(大階段を使った歌とダンスのショー)にはその全員の思いが反映されていたように思えます。

 

叶わなかった大劇場でのレビュー

男子部にポジティブに関わった全員が夢見たレビュー

笑顔で歌い踊るレビュー、

羽根を背負い、シャンシャンを持ち、すみれの花咲く頃を歌っている男子部を見ていると

ほんとに苦しくてたらまない気持ちになりました。

 

涙を流しながらあのレビューを見たのは

すごく失礼だったのでは、と今では反省と後悔すらしています。

劇中「(宝塚の)舞台をみーんなええ顔してみてるんや」と男子部員が言います。

男子部員は観客がいい顔をして見られる舞台を夢見ていたはずなのに。

 

その後、各々の大きな荷物を持ち、

故郷へ帰る男子部たち。

もっともっと夢を見せてほしい

もっと叶えてほしい。

もっともっと、と気は急くばかりで

現実は、そこで終わり。

 

夢が叶わなかったのは、運が悪かったからじゃない。認められなかったから。

そんな単純な理由が、1番懸命に生きた人々を苦しめるんだ、と胃がずしり、と重たくなりました。

 

あんなにおわりを惜しんだカーテンコールがあったでしょうか。

あんなに終わらないで、と思う舞台はあったでしょうか。

終わらないで、まだ、見たい、と気持ちが溢れすぎて拍手を止められずにいました。

 

この消化しきれない思い、、。

もう一度観たい、、、、

東京千秋楽行っちゃうか、、、、。

 

ひとまず吐き出せたので眠ります。

大阪公演には、ご存命の宝塚男子部の方がご観劇されるそうです。

大層胸が締め付けられる、そんな思いです。

 

それではおやすみなさい。

家族だったということ

 

5月21日はわたしの愛犬の命日です。

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中学生のときかな、本当に学校に行けなくて

めちゃくちゃしんどかったときに

ホームセンターで目が合って、

ちゃんと散歩も連れていくし、ご飯もシャンプーもわたしがするから、飼いたい。

と親をその場で説得して迎えたワンコでした。

 

初めてうちにきたとに、

慣れない家で心細そうに鳴く声を聞いて、

うちでは不満なのかな、とか

ちゃんと家族になれるのかな、とか

不安になったのを覚えています。

 

しつけは大変でした。

それ以上に可愛くて、大好きで、

たくさん元気づけられて、

高校まで卒業出来たのは

太郎がいたおかげだと思うのです。

 

大学進学と共に東京に住んで、

離れ離れの時間の方が多くなったけど、

実家に帰るたびに一緒にお昼寝したり、

散歩行ったり楽しかった思い出ばかりです。

 

8歳になった太郎は心臓に大きな障害があり、もう長くないと言われました。

仕事で出来ないお世話を母が引き継いでくれて、毎日薬も欠かさず飲ませてくれました。

 

5月21日、とても暑い日でした。

朝から具合が悪そうで、

大好きな散歩にも行けず、

うちわで扇いであげたり、

大好きな窓辺に寝かせてあげたりしていました。

 

夜になって、ぐったりしてきてしまい、

かかりつけのお医者さんに急いで電話をして、

車で病院まで連れていきました。

腕の中でぐったりして、

太郎の呼吸が弱くなっていくのを肌で感じて、泣きながら病院に駆け込みましたが、

その時には既に息絶えていました。

 

病院の先生には「管で繋がれて苦しみながら死を迎えるより、大好きな飼い主さんに抱っこされていけたのだから、きっと幸せだった」

と言われたけど、もっと早く病院にいってたら、

もっと早くしていれば、

今も元気にわたしと一緒に過ごせていたかも、と後悔が募るばかり。

 

自宅に連れて帰ってから、病院の先生が作ってくれた簡易ベッドに入った太郎を見て

わたしが病気の半分でも貰っていたら、とか

もっといっぱい色んなところに一緒に行きたかったとか、

もっとたくさん可愛がってあげてたらと思うと涙が止まらずずっと太郎の前から離れられずにいました。

 

火葬し、骨になった太郎をみたら痛いところや苦しいところがなくなって、

きっと広くて安全なところで

いまは楽しく過ごせているんだろうな、と思えたのに、

それでもやっぱりずっと悲しくて寝られず、

3日間も、会社を休んでしまい、ずっと泣き続けに泣いていました。

 

思い立って、太郎の写真を印刷して額縁に飾ってみたら

ここにいるよ、と言っているようで少し安心したのを覚えています。

 

このままくよくよ泣いていて、太郎は喜ぶだろうか?

また心配してせっかく行けた楽しいところで遊べないんじゃないか?

 

太郎の幸せを願うなら、泣かずにいつも通りの生活を続けるべきなのでは?と思い、

次の日からはいつも通り仕事にいきました。

 

それでもふとした時に、あの息を引き取ったときの重たさや、冷たくなった体や、

開かない目や、大好きなおやつを食べない口、たくさん遊んだ手や足、もこもこの体を思い出して、もういない事実が辛くて、涙が出るのでした。

 

ペットロスは長くて苦しい。

それこそ、多分私が死ぬまでペットロスは続くのだと思うのです。

泣いても帰ってこない。けど、失くしたことで生まれた穴は、誰にも埋められない。

ずっと開き続けたままなのです。

 

命日が近づき、あの日のことを思い出してしまい、混乱して悲しくて、どうしようもない気持ちでこれを書き始めました。

 

ご不快に思われた方がいたらごめんなさい。

悲しい気持ちを内にしまっておくことが出来ませんでした。

 

もし、この記事を読んでいるあなたの近くに

ペットロスで苦しんでいる方がいたら

「たかがペットが死んだだけだろ、大げさ」なんて思わず、「家族が亡くなったんだ」と優しい気持ちで接してください。

 

あなたも大切な人が亡くなったら、きっと悲しいはずです。

 

家族だったということは

失えば大きな穴だけが主張して、私を侵食するということなのです。

 

悲しい話をしました。

どうぞ明日朝起きたら、元気になっていますように。

 

 

こそばゆい

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(ぱくたそさんからDL、お借りしています。)
 

 

あけましておめでとうございます。(今更)

 

2017年9月から更新もなく、死んだのでは?とまことしやかに

囁かれていたとかいないとか、、、

とりあえず元気に生活しています。

 

 

そんなこんなで、深く掘り下げてもさして面白くないのですが、

書きたい時に書きたいことを書き綴るブログなので、

頑張って書こうと思います。

 

 

2017年12月、もう12月のいつだったか忘れちゃったくらい12月に、

人間嫌い、コミュ障、末っ子、おじさんキラーと呼ばれた私にも

心を許せる相手が見つかり、

片想い?とは言えない、この続きはなんですか?状態の人が奇跡的に出来ました。

 

私と彼にはすごく不思議な共通の知り合いが多く、

八方塞がり、進捗確認も締め切り間際の漫画家ばりに聞かれ、

いい加減辟易としたり、お互いのペースとか、

思うところはあるよね、、、で済むはずが

全然それじゃ 周りが納得してくれない。

なんじゃそりゃーと思いつつ、徐々に徐々にと距離を詰めたり離れたりしながらの生活です。

 

世間はバレンタインに浮かれているようですが、

大人になってしまったのと、私自身がチョコレートや甘味の類に興味がないので

手作りケーキ(キャピ)なんてこともなく、

伊勢丹で50以上もあるお店の中から、疲れない程度に選んだチョコレートを

上司に渡そうと思っています。

 

知り合いと伊勢丹に行ったのですが、やつには渡さないのか?と

散々言われ、「あー考えてない」とかテキトーに流したけれど、

本当は2月の頭にすでにバレンタインってことで、、、と

首元が寒そうな彼にマフラーをあげていましたというオチがついていて、、、

周りにはきっと「こいつ、なんもあげないつもりか?死して償え!」と思われているに違いない。

 

それでいいのだ。チョコレートあげて喜ぶような相手じゃないのだから。 

 

そんな人と、いつだか忘れてしまったけれど、終電を逃して我が家で朝まで飲み明かした時のこと

「ずるいけど、新たに何かを知るのに疲れているのと、彼女が欲しいと思う感情に押しつぶされそう」的なことを言われ、

 

はー?それは、私がその候補ではないよと暗に言いたいのか

私をその候補として一応考えているけど、いまは無理ということなのか

男の脳ってどうなってんの?と性差まで勝手に持ち出してウンウン唸っておりました。

 

早急に肉体関係を迫ったわけでも、名のある関係を宣言しろと脅したわけでもないのにな、、

周りに聞かれている通り、確かに「お前らの関係に名前はあるのか?」の

回答はなかなかできず。

 

それは別にお互いに「今ネーミングする必要性がないから、名前をつけていないだけ」という共通認識だと思っていたのだけど、

上記の通り、締め切り間近の漫画家ばりに周囲から進捗確認をされ、

「進捗どうですか」「進捗ダメです」を延々と、、、、、、、

 

正直めんどくさい。

正直めんどくさい。

 

「彼氏がいる」からと浮かれる歳でもないのだけど、

正直鳥の羽でふわふわと鼻の頭を撫でられているような感覚。

点きそうでつかない切れかけの蛍光灯のチカチカ鬱陶しい気持ちに近いような、

そんな煩わしくて、こそばゆい関係は、心地いいだけではなくて、

もちろんもどかしいし、私はヤツとは違ってそんなに仕事が忙しくないぶん

自由で、考えたり、思案したりする時間がたくさんある。

 

ふと、このまま永遠に答えの出ない、チカチカとした関係で、

テキトーなところまで引っ張られて、突然やっぱり違いますと言われたら、

それこそヤツをぶん殴ってしまうのでは・・・?と自分の右手が握りこぶしを無意識に作ってしまっているあたりが怖い。

握りこぶしを作る前に自分に期限や、デッドラインを決めなければなあ、、と。

 

人間関係ってすこぶる面倒くさいですなぁ〜・・・・

 

誰かとワイワイしたり、ヤツと一緒にいたりした後、

埼玉の孤城に帰ってくると、ああ私はひとりぼっちが寂しいんだ、、、と実感する。

 

寒いからだ。全ては寒波のせい。

いつまでたってもセーターと布団が私を離してくれないせいだと思う。

 

 

長くなってしまいましたが、ご不明な点はございませんか

ございませんね。はい。良かったです。

 

書いたらなんだかスッキリしました。

なんくるないさ〜〜〜〜

 

 

 

 

弾丸台湾

 

どうも。

 

なぜか弾丸で台湾に行ってきました。

仕事だったので、あまり外にはいられずずっと工場でした。

 

夜中は時間があったので、

夜な夜な街を探索してみたんですが、知らない道を

wifiも繋がらず、言葉もわからない状態で歩くのって

なかなかに楽しいもんですね、、、、

私にこんな野生(?)の気持ちがあったなんて、初めて知りました。

自分でも驚きです。

 

後から知ったんですが、Google mapはGPSだけ繋がってれば動くんですね。

次回からは駆使します。

道に迷ったらテキトーにコンビニのお兄さんとかに話しかけて

道を教えてもらうワイルドっぷり。

 

 

台湾は色が濃い街ですね。

最小限の荷物にしようと心に決めながら、

単焦点で観光なんて、とんでもなく無意味なことしたなーと思いながら、

一枚だけ写真を撮ってきました。

 

通訳をしてくれた方が、すっっっごい歩くの早くって

写真を撮ろうにも止まってくれないので、

歩きながら・・・

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ここどこや。。。。。

てか手前の電話してるお姉さんがめっちゃ邪魔ッすぅ・・・・

奥行きがある写真撮れたらもっと良かったなーとか

いかに自分が背景を撮影してきていないかがよくわかりました。

 

習うより慣れろの精神で・・・・。

 

そうそう、100人ポトレですが、

全然進んでない!!!!!

 

人と予定合わせるのってすごい難しいんですね!!!!

友達少なすぎて気づきませんでした!!!!!!

土日休みが合わなくても、平日夜の撮影でもいいよー!って言ってるんですけど

夜の撮影ってみなさんあんまりお好きじゃないんですかね、、

平日夜は無理・・って断られがち。。。。悲しい。

ボランティアをお願いしているからね、無料で夜まで動きたくないってことですかね、それとも私が嫌われt・・・・・

 

とりあえず、今月末は金沢に行くので、その時にやっと手にいれた8000Dを使いこんで来ようと思います。

 

あ、その前にディズニーシーに行くんだった・・・!

キャラ撮りでもしてカメラに慣れよう。そうしよう。